タイムの小花。
今日はネパールが地震でたいへんな被害が出ているようです。
或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。
たまたま「方丈記」を見ていたら、ここにも大地震の記述がありました。
山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。
土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、
なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。
いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。
或はくづれ、或はたふれたる間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。
地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。
家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。
羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。
おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。
その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、
ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、
俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、
二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、
聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。
子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。
かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。
よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。
余震が激しいことまで書かれています。
これは1185年の文治地震。
地震の被害は畿内付近にとどまらず、石見、隠岐、安芸、伊予、土佐以西、また相模以東、
上野以北の遠国にも及ぶ巨大地震であったと推定される。
つまり、それはかつての南海トラフ巨大地震だったんじゃないかという説もあります。
方丈記の無常観は、こんな大地震を体験したところからきているのかもしれません。
庭石菖は、赤い花と白い花があるのだけれど、
赤い花の方がが先に開くんだよね。
方丈記というのは、
そもそも、終の棲家の「方丈庵」を調べようと思ったのでした。
その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。
(広さが約3m四方で、高さが2mちょっとか。)
所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。
(とりあえず、だから基礎を打ってないのね。)
土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。
(簡単に屋根を葺いて、材木は掛け金で止めただけ。)
もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。
(嫌になったら、いつでもバラして移動できるようにと。)
そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。
(もう一度作り直す時にも簡単でしょ。)
積むところわづかに二輌なり。車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。
(大八車が2台あれば全て片付きます。)
いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、
(南側には仮の庇を出して竹の簀の子を敷き、)
その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、
落日をうけて、眉間のひかりとす。
(西に閼伽棚を作って、阿弥陀像を掛けると、そこに西日が差して眉間がひかるよう。)
かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。
(とびらには普賢と不動尊像。)
北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置く。
すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。
(北の障子の上には、小さな棚をつけて、皮のつづらや、楽譜や本などを置き、)
傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。
(その脇に、琴(折りたためる!)と琵琶(柄が取り外せる!)を立たせている。)
東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。
(わらびと藁を敷物にして寝床とする。)
東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。
これを柴折りくぶるよすがとす。
(東に窓を開けて机を置き、炊事もそのあたりで。)
庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。すなはちもろもろの藥草をうゑたり。
(北には少しばかりの土地を垣で囲って薬草を植える。)
かりの庵のありさまかくのごとし。
(まぁ、そんな感じの小屋。)