くっちゃねーこと、のぐそ。

投稿者: | 2017年1月15日

寒波の襲来で、昨日から全国的に大荒れの模様です。
こちらの方は、さほどじゃないですが多少は雪が積もっております。

夜にしんしんと雪が降り積もり、
それでもだいたいは昼間の太陽でほとんど融けてしまうのですが、
今日ばかりは、昼間も時折粉雪が舞ったりして、
積もった雪も、なかなか融けきれずにいるようです。

わたしはといえば、
ちょうど年明けの元旦から、原因不明の38℃越えの熱が続き、
しかし熱の割にはさほど苦しくもなく、ただただコタツにもぐって大人しくしておりました。

たまに山の中から都市部に出向くと、
空気や水やひどい食べ物や、人の多さやエアコンや、
つけっぱなしのテレビや街中のチリアクタの消費情報、でしょ。

そういう環境変化になじむのにも結構体力が要るようです。
対応しきれずに熱が出ちゃったのかもしれないなぁ、
と思うのは、山の中に戻るとウソのように熱が引いたからです。

それはそうと、
こちらではそろそろ蝋梅がほころびかけています。

熱が引いて体調はよくなったのですが、
それやこれやで、ついだらだらとする時を過ごす日々に慣れてしまって、
何だか新しいことをする気が全くしない。

仕掛りの部屋の壁を塗って仕上げてしまわなくっちゃなぁ、
とも思うのですが、毎日この寒さじゃね。
冷たい水で、土を練ったり、洗ったり、そんなことブルブル、
とんでもない。

もうリフォームにもだいぶ飽きてきたんじゃないか、という意見もありますが、
とにかくこの冬空じゃ、何もする気なんぞ起きやしません。

今日の積雪はたぶん10cmを越えたんじゃないかなぁ。

それでも朝起きて、外の様子を見るのが楽しみです。
そんな事でもなきゃ、なかなか布団から出ていく覚悟は生まれないでしょ。
多少雪が積もろうが、慌てて出かけていく用事もないしね。
サビィ、サビィといいながら、急いでストーブに火をつけるぐらいのことです。

で、ストーブをつけようとゴソゴソし始めると、
それを待っていたかのように、納屋の二階から下りてきて、
ストーブの側に陣取るミーニャ。

ここにいれば、ゴハンの食いっぱぐれもないしね。
どんなに寒い日も、これで一日安泰ですわ。

しかし、飼い猫(というか、飼われ猫)って、
実に安直な人生を送ってるよなぁ。
食っちゃー、寝。くっちゃーね、くっちゃーねーこ。
まっこと、食って寝て、ストーブにあたって、食って寝て、ストーブにあたって、だけだもんなぁ。
キミはいったいそれでいいのか。

おまえなぁ、
こんなに一日中ヌクヌクしてんだから、たまには薪でも運んでこいよ、
といっても、大きなアクビで応えるばかり。
ちったぁ、庭駆け回って運動でもしろよ、
といっても、喉の奥でゴーロゴロやってるだけで、知らんぷり。

ストーブの真下が最高に気持ちいいスポットみたいで、
地べたに寝っ転がって、完全脱力で、いい気になって横たわっています。
時折、熱い鉄板で背中の毛を焦がそうが、お構いなし。

でもまぁ、猫だって生かされるべくして生きているんだから、
きっとこれでいいのでしょう。

わたしだって、薪を運んだり、切ったり割ったり、
キャッツよりは多少とも働いているつもりですが、
高所大所から見渡せば、まぁ五十歩百歩というところなのかもしれません。
これでいいのだ、たぶん。

かたゆきかんこ、しみゆきしんこ。

青い空の下、真っ白な太陽に照らされながら、
キシリキシリと新雪を踏みしめて歩けば、
振り向くと、歩いたあとからあとから靴跡のついていく様が、
とても気持ちいいでしょう。

新しい雪の上におしっこをすると、
そこだけがあったかく融けて、流れる絵が描けそうな様は、
何だか子どもの頃に戻ったようで、きっと嬉しいでしょう。

スコップで穴を掘って白いチェアを据え、
雪の上に丸いおしりをさらす。
さらさらとジャケットに粉雪が舞い降りる音に耳をすませながら、
ノドカにいたすノグソは、そりゃ格別の趣向でしょ。

もひとつチェルシー、あなたにも分けてあげたい。
あれは確かシモンズでした。

くっちゃねーこと、のぐそ。」への2件のフィードバック

  1. 梶谷修司

    久しぶりの更新ですね。 生存が確認できてよかった(笑) 出雲もこの土日は雪となりまして、こんな日はわざわざ寒いとこへ出かけなくても…ってことで、どこにも行かず湯たんぽと毛布でぬくぬくとだらだらと過ごしておりました。  何もすることもなく、窓の外の雪を眺めていると、ふと…とてつもなく幸せであることに気がついたりしますね。  
    いつか何かで見かけたことのある台詞ですが「幸せは 『なる』ものではなくただ『きづく』ものであると…まさに幸せというものの真実をついた言葉のような気がしました。 どんなに頑張っても、何を所有してもそこにある幸せに気づくことができなければ、永遠にそれを探し歩くことになるのでしょうね。 気づけば「今、ここにある」のに。
    あくせく動きまわる人間様が気づいていない幸せに、何も持たない、何もすることのないミーニャは気づいているのかもしれませんねぇ…。 
    ミーニャを見習いつつ、のんびりとだらしなく、なまけものでいきましょう。
    そして…いずれ近いうちに底か抜けおちるであろうこの素晴らしき世界…その時にはいっしょに大笑いしましょう。  

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  2. caferoman 投稿作成者

    そうそう、幸せって「ポン酢」だったりしますからねぇ。やっぱりバカボンのパパはえらかった。
    これでいいのだ。

    返信

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