醤油を仕込んでから3ヶ月。
フタを取ると、もう醤油の香り。
でも、かき混ぜるとまだまだ色も薄く、発酵も浅い。
ちょっと納豆の風味がするのは、麹づくりの段階で納豆菌がついたのかもしれません。
ちょっと温度が上がりすぎたからね。
でも、別に糸を引いているわけではなし、問題ないでしょ。
仕込んだ当時はほとんど塩水に大豆が浮いた感じだったのが、
全体的にだいぶもろみ状になってきました。
ちょっとなめてみても、かなり旨味成分が加わっているのがわかります。
何だかこのままでも充分料理に使えそうな出来具合です。
とにかく寝かせて、3ヶ月ごとの櫂入れでいいみたいなので、
いったん仕込んでしまえば、楽といえば楽ですね。
で、最短9ヶ月で仕上がり。
ほんとは2年ほど熟成させるのがいいみたいですが、どうかなぁ。
ちゃんと夏を越せるのか、ですね。
宮本常一の「辺境を歩いた人々」を読んでいます。
幕末から明治の頃に、
いわゆる未開の地を歩いて探索した人たちの所業や生き様が書かれています。
おもしろいですね。
何というか、ただ真面目に生きた足跡が実に波瀾万丈なんですね。
荒波でひとたまりもないような小さな船で千島・カラフトをめざしたり、
まだ道らしい道もない蝦夷地(北海道)を死にそうになりながら探検したり。
その息子は道でみかけた美しい少女のことが忘れられず、
越後から大阪まで歩いて会いに行き、
それでも意気地がなく会わずに越後に帰り、
やっぱり忘れられず、また歩いて往復したりということをやっている。
そんな息子が、何の因果か土地の諍いで隣人を殺すようなことになり、
八丈島に島流しにされる。
もともとはおとなしい学者の息子、島に落ち着いてからは島民にすすめられ、
子どもに書物を読むのを教えたり、いろはを教えたり、
また仏像を修理したり、彫刻したり。
頼まれてびょうぶやふすまの張替えをしたり、
石垣を築いたり、石碑に文字を刻む仕事を引き受けたり。
やがて、島ではなくてならない人になっていきました。
そうして、八丈島のことについては、そこで生まれた者より詳しくなり、
ついに「八丈実記二十八巻(のちに七十二巻)」を書き上げます。
当年五十六歳。
その後、七十二歳になってから、
遅きに失した赦免のしらせを受け、島を出て江戸に出ています。
もう、江戸は東京という名に変わり、みなちょんまげを切ってザンギリ頭。
そうして、六十年前の少女の面影を求めて大阪の町を訪ね歩きます。
その後西国三十三ヶ所の巡礼をし、また東京まで歩いて帰る。
しかし、東京には何ひとつ楽しい思い出はありません。
七十八歳。
八丈島に帰りたくなりました。
八丈島にいればみんなが友だちであり、また大事にしてくれます。
そして、八丈島に帰りました。
島へ帰ってからは、もう何もしませんでした。
汚れて破れたきものを着て、
からだにはシラミをはわせてそれをじっと眺め、
時々は道にうずくまって、アリの行列をじっと見ていたそうです。
それでも、誰もがこの年寄りを尊敬の目で見ていました。
そうして、この島で八十三歳の生涯を閉じました。
「自分はいくじもなく、才能もない人間であったけれども、
とにかく自分なりにいっしょうけんめいに歩いてきて、
しかもこれだけのことしかできなかった。
それを人から笑われても、なじられてもいい、
自分としてはこのように生きるより他になかった。」
どのようにして生きるかというのはなくて、
ただ自分なりに、ただいっしょうけんめいに歩くだけなのですね。
そうそう。
誠に勝手ながら、5月16日より社員研修のため(笑)約ひと月のお休みをさせていただきます。
次の営業日は、6月20日(金)からの予定です。
どうぞよろしくね。