好きなんだけど、内容が濃すぎて、
読み始めるのに気合が要る本というものがある。
私の場合、宮本常一の著作がそれで、
文章は極めて平易に書かれているのだけれど、
彼が生涯を通して自分の足で踏査し、見聞きし、
積み重ねられた知識に基づく推論は、
透徹していて、
その何気ないひと言の含蓄が、
あまりに深すぎて、圧倒されてしまう。
「人間の歴史は飢餓からの脱出の歴史であったといっていい。」
その一文から始まる「飢餓からの脱出」も、
最初の数ページでつっかえてしまった。
その軽快な文章が持つ圧倒的な重量をうまく消化できなくて、
そのまま先に読み進んでしまうのがもったいなくて、
ちょっと息をつくために、何度も立ち止まってしまう。
古代人が食物を求めて移動する生活から、
定住を始めるに至った経緯が述べられている段落では、
住居建造の技術についても触れられている。
そこには、衝撃的な事実が書かれてあった。
「今日残存する民家の屋根には、登呂以前の方法で葺いたものも少なからず見られる。」
「それは「サス造り」と呼ばれるもので、
二本の柱の上にわたした棟木にサスとよぶ丸太を斜めに立てて棟で結び、
これに横木をわたし、さらに垂木をならべて屋根を葺く。
おそらくそれは柱や壁を持つ家の出現する以前からの技術であり、
木があり、蔓草があり、カヤがあれば事足りる。」
で、上の写真は今のウチの屋根裏なんですが、
・・・これって、まんま登呂遺跡状態だったんですね。
「このようなサス屋根は、その屋根の部分には大工が関与しないのが普通であった。
大工は梁から下の仕事をする。」
桁や梁をわたした屋根は、
かなり進んだ屋根の葺き方になるのだそうですが、
それにしてもウチの屋根は、
縄文時代からの伝統技術を引き継いでおり・・・。
というか、当時と同じ手法で作られていて、
それからかれこれ20世紀を経た今、
今日も自分がその屋根の下で暮しているということが、
何だかとても感慨深い気がします。
さて、そろそろ太陽がのぼって暖かくなってきたので、
昨日の天井造作の続きをしよう。
天井に断熱材を入れるって、とっても文化的だなぁ。