1984年

投稿者: | 2021年6月17日

その世界観の押し付けはそれを理解できない人々の場合にもっとも成功していると言えた。
どれほど現実をないがしろにしようが、かれらにならそれを受け容れさせることができるのだ。かれらは自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているのか十分に理解せず、また、現実に何が起こっているのかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持ってもいないからだ。理解力を欠いていることによって、かれらは正気でいられる。

「1984年」ジョージ・オーウェル

正気であるために支払うべき服従という行為を、君は断固拒否している。
君は現実とは客体として外部にある何か、自律的に存在するものだと信じている。さらにまた、現実の本質は誰の目にも明らかだと信じている。自分に何かが見えていると思いこむ錯覚に陥ったときには、同じものが他の誰の目にも自分と同じように映っている、と君は勝手に想定するわけだ。
しかし、いいかねウィンストン、現実は外部に存在しているのではない。現実は人間の精神の中にだけ存在していて、それ以外の場所にはないのだよ。
ただし、個人の精神のなかにではない。個人の精神は間違いを犯すことがありうるし、時間が経てば結局は消えてしまうものだ。現実は党のなかにのみ存在する。何しろ党の精神は国民全体の総意であり、不滅なのだからな。党が真実であると考えることは何であれ、絶対に真実なのだ。党の目を通じてみることによって、はじめて現実をみることができる。君が学び直さねばならないのはこの点だよ、ウィンストン。
正気になろうとすれば、まず謙虚にならねばならない。

「1984年」ジョージ・オーウェル

「覚えているかね?」オブライエンは話を続けた。
「君は日記に書いた。ー『自由とは二足す二が四であると言える自由である』と」
「はい」ウィンストンは言った。
オブライエンは手の甲をウィンストンの方に向けながら、左手を上げてみせた。親指を折り、他の指四本は伸ばしている。
「わたしは指を何本出しているかね、ウィンストン?」
「四本です」
「もし党が四本ではなく五本だと言ったとしたらーさて何本だ?」
「四本」
「飲み込みが悪いようだな、ウィンストン」オブライエンが優しく言った。
「ときには、ウィンストン、ときにはだが、それが五になることもあるのだよ。三になるときもある。四と五と三に同時になる場合だってある。君はもっと真剣に頑張らないといけない。正気になるのは難しいのだ」

「1984年」ジョージ・オーウェル

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