「暮らし」というのは、日々の生活のことです。
その日々の生活が毎日積み重なることで人の一生も築かれるわけで、
その基本の生活がちゃんとしていないと、
生きてる感じがずいぶん希薄になるんじゃないかと思うのです。
今のほとんどの人の「暮らし」はといえば、
食べるもの、着るもの、住むところまで、ほとんどのモノが全部、
どこかで作られたものを、「お金」で買うだけの生活です。
それが、どんな原料を使い、どんなふうに加工され、どんな流通に乗り、
どのように値付けされているか、買う時にはほとんどわかりません。
ただ市場に出て店頭に並んでいるものを、「買う」自由しか残されていないのです。
それが、納得のいく、安心できるものならいいです。
しかし、飽くなき消費経済のエンジンは、大量生産・大量消費の永久サイクルです。
モノづくりの現場においても、経済効率や合理性が最優先の事項となります。
生産コストを下げるため、より安価な原料の買い付け、代替原料の開発、促成栽培、
機械化、短期工法の開発、添加物・色素による様々な加工が行われます。
また、流通コストを下げるため、商品の均一化、定量化、保存料による消費期限の延命が行われ、
販売量を増やすために、成型、装飾や過剰包装等がされます。
ただ、新鮮でおいしいもの、添加物や保存料が入っていないもの、
不揃いでいいから自然のままのもの、加工されていないものが欲しいと思っても、
店頭では絶対そんなものは手に入りません。
コンビニは確かに便利で、「お金」さえ払えば、ひとときの飢えや渇きは癒される。
でも、ちっとも安心できないし、心は空虚なままなんじゃないかな。
そんなものを買うために「お金」を払いたくないし、
もっと言えば、そんなものに使う「お金」を稼ぐために働きたくない。
じゃ、どうするか。
「食べるもの」「着るもの」「住むところ」。
自分が納得して安心できるものは、自分で作ればいいんだよ。
急に何から何までは無理でも、できるところからやっていけばばいい。
だって、昔の人はみんな自分たちでやってたんだからね。
一人でできないこと、わからないことはみんなで助け合ってやればいい。
できたものを分かち合ったり、あるものをシェアしたりすれば、もっと楽しい。
お金だって、本当にやりたい事や欲しいもののために使いたい。
手作りの生活なら、お金なんて少しあればみんなで暮らしていける。
「ちゃんとした暮らし」って、生活をぼくらの手に取り戻すこと。