ストーブからやけに煙が出るようになったなと思っていました。
分解してみると、もう結構煤が詰まっていた。
煙突が詰まると、タールが煙突の外に垂れてきたりするんだよね。
そうならないうちに気づいて、早め早めに煙突掃除をすればいいのだけれど。
まだまだよく燃えるからと、ついつい先延ばしにしたり、
それでなくても今年みたいに風が冷たくて、雨や雪が降る日が続くと、もうどうしようもない。
それで、今日は久しぶりに穏やかな天気になったので、
朝から意を決して煙突掃除を始めたのでした。
これは、分解した煙突を空焼きしているところ。
中を覗くと、なかなか美しいでしょ。
煙突の内壁にタールがこびりついているので、これを高温で焼き切ります。
ロケットストーブの上に載せると、
こびりついたタールがぶくぶくと溶け出し、白い煙をもうもうと吐き出します。
このタールが焼けて煤になるまで炙ります。
屋内の煙突はさほどでもないのだけれど、
壁から外部に出ている箇所の煙突は、やっぱり煤もタールも量がすごい。
屋根が高いので上まで煙突を伸ばせなかった。
だから、どうしても吸い上げが悪いし、風圧帯が発生する。
それに、強い海風が吹くので外気に冷やされるんでしょうね。
本当は二重煙突にすればいいのだけれど、
まぁダマしダマしです。
でも、久し振りに手間ひまかけてタールを焼ききったので、
しばらくは好調でしょう。
ところで、久し振りに火を入れたロケットストーブ。
これはやっぱりすごい。
何がいいかって、やっぱり薪が少ししか要らないところがすごい。
ストーブは確かに快適なんだけれど、
大きな薪をドーンと放り込んでおけばしばらく暖かいけれど、
やっぱり、その薪を用意するのが結構たいへん。
家の裏に山を持ってるなら、切ってくればいいようなものだけれど、
それだって、チェーンソーで倒して、引っ張り出して、
乾かして、それを玉切りにして、斧で割って、積んでまた乾かして。
そういう作業も、確かにそれはそれで楽しいんだけどね。
でもそれ、何歳までやり続けられるのかなと思うと、やっぱり体力のいる仕事です。
それに、家の裏に山があるわけじゃなし。
そうなると、毎年大量の冬の薪をどうにかして確保しなくちゃ、という気苦労がつきまとう。
その点、ロケットストーブなら、極めて少量の木の小枝や木っ端でまかなえる。
実際、今回の煙突のタール焼きも、薪割り後の切れ端や小枝だけで全部済んだ。
しかも、ゴーゴー燃えて、焼きの温度は十分。
そりゃ、たびたび木くずを追加しなくちゃいけないけどね。
鍋をかけりゃ、鍋底に煤もいっぱいつくけどね。
でも、そのあたりに落ちている枯れ枝や木っ端、
そんなものだけで十分な燃料になる、というところがすごいと思う。
それは囲炉裏もそのようです。
そのあたりに落ちている枯れ枝や木っ端だけで、ご飯を炊いたり、煮たり、焼いたり。
むかしむかしのおじいさんの柴刈りは、そういう意味だったんですね。
何もいつもいつも丸太を切って割ってしなくても生活はできる。
若いうちは、太い木をガンガン薪割りしてストーブでもいいけれど、
年を取ったなら、柴刈りの日々で、囲炉裏とロケットストーブなんかで十分なんじゃないかなと、
そう思ってきました。
昔ながらの、煤や煙や灰と共存できる家屋。
それも捨てたもんじゃないと思うよ。